著作名:「お風呂考現学」 -日本人はいかに湯となごんできたか-
著  者:江夏 弘(元・社団法人日本住宅設備システム協会専務理事)
発行所:TOTO出版
発行日:97.5.10初版第1刷
ISBN4-88706-152-8

 

第二部 風呂の変遷と未来(P158より抜粋)

(株)ほくさん(現、エア・ウォ-タ-)の前身である北海酸素は、溶解アセチレンのほかプロパンを販売していたが、故・水島健三社長(昭和59年5月に逝去)は大の風呂好きで、『プロパンの消 費量を増やすのには風呂に使うのが一番。そこで風呂について考えてみよう。』ということになった。
しかし、風呂を工業的に生産するということはそう簡単にできるものではなかった。
昭和38年5月、東京国際見本市に出品されていたヤエス化工(株)の立井宗久社長の製作した畳の上に置けるFRP風呂を職員が見つけ出したが、これは立井の名をとって「スタンウェル(Stand Well)バス」と名付けられていた。これに対する反響は大きく三井物産や三菱商事も融資する旨の申し出があった。これを見た水島社長は早速、立井社長と話し合い、『うちの材料と工場を自由に使って、好きなように作ってください。』という水島社長の熱意にほだされ、立井氏が中心となり、よりよい商品を作るべく研究開発が行われることとなったのである。そして、10月になって、 「ほくさんスタンウェルバス」を完成し、北海道から発売されるに至った。
高さ約2メートル、幅約1メートル、長さ約70センチ、畳半帖分のトンガリ帽子状をした風呂であった。重さも、本体がFRPでできているので約30キロと軽く、部屋の中でも持ち運べる「電気製品のような風呂」へという水島社長の構想が漸く実を結んだのであった。
その後、「バスオール」と改名し、種々苦心の道をたどったが、現在は一戸建用バスユニットとして広く市販されている。なお、バスオールのうまれるきっかけとなった東京国際見本市が行われた昭和38年は、前述した如く、翌年(39年)の東京オリンピックに備えて建設中のホテルニューオータニに、東洋陶器が浴室ユニットを一千台余り導入した年の1年前でもあって、集合住宅用(最初はホテル用であったが)と戸建用のバスユニットが奇しくも同じ時期に市場に出現したわけである。

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