記憶博物館
父が建てた家の五右衛門風呂
(1950年代,近畿地方,男性,ヘラクレスさんの思い出)
私が物心ついたときには、我が家にお椀型をした鋳鉄製のお風呂が有った。
父が当時の金子で7百円を投じて新築した家に設置していたのだった。
クリスチャンだった父は、座敷の大黒柱の地下に、牧師さんが家族の平安を
祈祷をしてくださった十字架を埋設しているとも聞いている。
鋳鉄製の風呂のお椀型の底に近い側面には、3か所に鉄の突起があり、
その突起の位置に合うように切り込みを入れた
円盤状の厚い底板が用意されていた。
風呂桶に水を少し張り、底板の切り込みを風呂窯の突起に合わせて
板の上から力を加えて押し下げて、板が突起よりより下になったら
板を左右どちらかに回転させる。
すると底板は鉄の突起に引っかかって浮き上がってこなくなるのだ。
鉄の風呂窯は直接焚火で加熱されるために、窯の底が非常に熱くなる。
それを防ぐのが底板の役目なのだ。
子供たちが面白がって湯船の中で騒ぐと、時として底板がずれて
突起から外れ、足が熱い風呂釜の底に直接触って
酷い目に合うこともあった。
母は、炊事の他に隔日くらいに風呂を沸かしてくれていた。
当時の私の田舎には都市ガスも無く、もちろんプロパンガスも無かったし、
水道も無かった。だから炊事も風呂も燃料は薪である。
水は井戸の手押しポンプから汲んだ。洗濯は盥での手洗いだった。
ある日、母が先生をしていた頃の元同僚がたっずねてきたた時、
「毎日ご飯を炊いて、お風呂を沸かして、洗濯をして、衣類のほころびに
つぎを当てて、これで一日が終わってしまう。つまらないことやねぇ。」
と、母がポロッと言ったのを私は聞いた。
それからだった、私が風呂の水汲みと風呂沸かしを
進んでやるようになったのは。時には薪でご飯を炊いたこともあった。
父母は近くに住む母の弟妹家族と会食をするのが好きだった。
夏には素麺パーティ、冬には鍋パーティなどを催していた。
夕方、食事の後は皆が交代で我が家の五右衛門風呂を楽しんでくれた。
その後高齢化した父母は病を得たので、父の建てた五右衛門風呂の
ついた家を他人に譲って、我々夫婦が新築した家で、
我々と一緒に住んでもらうことにした。
そして父母には幸せに過ごしてもらった、と思っている、が、
二人は同じ年に天に召されて既に27年になる。
田舎では、父母の建てた五右衛門風呂付きの家は
まだ健在でお役に立っているようだ。
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