記憶博物館
たった10年前まで、五右衛門風呂
(1990年代,関東地方,男性,太郎の思い出)
私の家は五右衛門風呂で、小学生の頃は毎日マキをくべて風呂を沸かすのが日課でした。(家は東京です) しかし今は亡き祖父が、さすがにマキで毎日沸かさなくてはならないのはツライと、1990年代はじめに壊してしまったのが、今から考えるとちょっともったいなかったかなーと感じました。 この風呂に入るには独特の方法があり、(やけどしないように)板を浮かべその上に乗りながら沈めて行くのが、子供にとっては楽しいものでした。 ●追加の投稿をいただきました・・・私の家は、東京23区にほど近い東京の三鷹市東部にあります。井の頭公園という公園と、映画「千と千尋」で有名な宮崎駿監督のジブリ美術館がすぐ近くにあります。 なんでこんなところに五右衛門風呂が・・・??と思われるかも知れませんが私の家では以前、代々農業をやっていて、江戸幕府が出来る前の戦国時代ごろにはこの地にいたそうです。 住んでいる地名もちょっと変わっていて、渡来系の地名だそうです。(祖父が亡くなるのに伴い農業は辞めてしまいましたが、せんばこきなど民芸博物館などで目にする、昔の農作業道具がごろごろ転がっていました。) また新撰組で有名な、天然理心流剣術の近藤勇の墓や生家などが近くにあり、新撰組のことを書いた本などで、多摩地方は昔から武術が盛んだったという記述がありますが、これをうかがわせるエピメ[ドが家にもあります。 私が小学生の頃、ちょっと剣道をやっていると聞きつけた祖父がやってきて農業をやってる姿しか知らなかったじいちゃんが、いきなり刀で人を切るにはどのように真剣を扱えば良いのか・・・?というような、今から冷静に考えたら小学生相手にむちゃくちゃな話を始めて、あとで良く聞いたら祖父も親父から習ったそうで、曽祖父あたりが使っていた??という刀も見たことがあります。(農家なのになんで??という具合ですが) こんな家だったので、五右衛門風呂もその中で生き残っていたのかな?とも思いました。 ちなみに形ですが、お寺の鐘ぐらいの大きさと形で(と言ってもまちまちでしょうが、分かりにくい阜サですみません)、それをちょうどひっくり返したようなあんばいのものでした。その周囲をコンクリートとタイルで固めて、火をくべる所は下に(小さな焼却炉のような蓋がついて)ありました。毎日夕方ごろマキを入れ並べてから、広告の紙を細長くしぼったものに火をつけて入れ種火として、あとは節をくり抜いた細い竹筒で、ふーふー空気を送り込み火を大きくしていました。(これが竹筒を使わないで直接息を吹きかけると、余計な灰や煙まで巻き上がってもうもうとなり、目がちかちかしみた記憶があります。) マキは今から考えると、どのように調達していたのか分かりません・・・【^^】 風呂場の国「自体、母屋の離れに隣接する、独立したつくりになっていて、その壁にはたくさんのまきがうず高く積まれており、時々ふろ場の前でマキ割りなんかもさせられていました。そんな印象から、多分購入したものではないと思うのですが、どこで調達していたのか今ちょっと分かりません。 お風呂ひとつ入るのにも、今の生活から考えたらとんでもない労力をかけていたなーとこうして書きつつ改めて思いましたが、子供の頃には何の疑問も覚えず、むしろ嬉々としてやっていました。
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