記憶博物館
薪で焚く五右衛門風呂
(1960年代,近畿地方,女性,速攻の思い出)
奈良県御所市と吉野郡の境目の谷間の村、茅葺き屋根の家とは別 棟の、薪で焚く五右衛門風呂で育った私。 お風呂の想い出は、入浴だけじゃなくて、水・薪を得るフィールドや、焚き口・煙突・風呂釜・といったお風呂の国「、家族・村の中でお風呂がはたしていた役割?の様なものまで含めて思い出しちゃうから、結高 ります。 分類分けせずに、気儘に書いちゃいますね。 年に一回、一家総出で、裏山から薪にする枯れ木を集めるんですが、これが結国蝠マでした。 長さにして約2メートル、幹の直径20センチぐらいの枯れ木を、ズルズルとひっぱりながら、山道を降りるのですが 、途中片側が切り立った崖になってる難所もあり、木が山道から落ちないように気を付けて、木の片端を勢いよく蹴 飛ばすんです。 木は、案外と上手く山道の上を滑り落ち、難所をクリアー。 その後はまたズルズルとひっぱって、県道を横断し、村落内の細道もズルズル、で、自宅の裏庭まで運び込むんです。 その木を父が鋸と斧で薪にしてましたが、今思うと、なぜ父は、山中で薪にしなかったのかな?焚き付け用の枯れ枝は、しょっちゅう山まで取りに行っていました。抱えられるだけ束ね、縄で縛って赤ちゃんを抱 っこするようにして持って帰りました。 本当は二宮尊徳さんや、かちかち山のたぬ きのような、背負いスタイルにしたかったのですが、小学校の低学年の私 には、背負いを可狽ノする縄縛りのテクニックが無かったのです。 その後は、近所の製材所から、木挽きしたときに出る端材を買っていたので、それを鋸と斧で薪にするワイルドなお 手伝いをしていました。 小学校の中学年頃から、お風呂焚きもやりだしたんで、点数の悪いテストを親の目にさらす前に処分したり、焼き芋 をつくったりできたので、お気に入りのお手伝いでした。 水は、井戸から電動ポンプを使って汲み上げ、家庭内の蛇口から出す、という水道と変わらない方法だったので、水汲 みの苦労はありませんが、たまに、井戸の中に私や飼い犬が不注意からダイブすると、しばらく井戸がつかえなくな り、こっぴどく叱られました。 私が井戸に落っこちた時、井戸の中に太いうなぎがいて、蛇と間違え泣き叫んだ記憶があります。 子供心にも、そのうなぎがどうしてウチの井戸に生息していたのか不思議でした。 地下水って不思議だな~と今だに思います。 鉄釜の五右衛門風呂だったけど、内部側面はあまり熱くなかったので、背中をくっつけても平気で した。でも底は熱いので、重量と厚みのある円形の板をはめていました。 鉄釜の底の方にその板を止めるための出っ張り(凸 )が3個所ついていました。板の方にも鉄釜の出っ張りに合わせて 3個所窪み(凹)が作ってあり、凹凸 に合わせてはめ込み、くるりと板を回して、凹凸部を違え、はめ込むとその板 が浮き上がってこない仕掛けになっています。 だから、五右衛門風呂でよく聞く、底の板が浮き上がる、というのは、めったに無かったです。 でも、この板は、5年に1度ぐらいの割合で、パカッと真っ二つに割れました。 鉄釜の方も、20年に1度ぐらいの割合でこわれていました。 どんな風に修理したのか、子供だったのでよく知りませんが、村に1件、鍛冶屋があったので、そこで修理してもらっ てたんじゃないかと思います。 小学校の高学年の頃、1番風呂を独占していた私が、入浴中に焚き口付近の柱が燃えていたのを 念入りに水を掛けて消しました。 でもぼうぼうと燃えていたんじゃなくてブスブスと行った感じです。 煙が出ていたけど焚き口の煙かな~と。 「すわ、火事だ~!」と言うよりも、「ん、なんだろう?」ってかんじでした。 数日同じ事を繰り返して、たまたま1番風呂に入ら なかった日、入浴中の父親が「火事だ~」と叫ぶなり、血相を変えて飛び出してきました。 1番風呂の私が、丁寧に水を掛けていたから、家族には解らなかったんです。 幸い大事にはいたらなかったけど、やっぱり火事だったんだな~。 夏になると、お風呂の窓辺に大きなへちまが実って、もぎとってお風呂に放り込み、へちま風呂を 楽しんだり、秋には柿風呂、冬には大根風呂、春にはレンゲ風呂と、四季折々にマイナーな物を入れてお風呂を楽し みました。 でも干したどくだみ(草)を入れたお風呂は、ヤだったな。
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